宝石界には、いくつか国際的な組織が存在します。宝石の鑑別・教育機関である「GIA」(米国宝石学会)や国連の諮問機関である「CIBJO」(国際貴金属宝飾品連盟)がその代表格です。その中で唯一「業者」だけで構成される組織があります。それが「ICA」(国際色石協会)です。
ICAは、アメリカとカナダの業界団体である「AGTA」(アメリカ宝石取引協会)の主要メンバーによって1984年に設立されました。AGTAは原則、北米以外の業者の加盟を認めておらず、「国際的な組織」とは真逆の組織です。そんな閉鎖的ともいえるAGTAのメンバーがなぜ、世界中の色石業者に門戸を開くICAを設立したのでしょうか。
AGTAは、色石と真珠の健全な取引を広めるべく、1981年に発足した組織です。その背景として、デビアスという強大な組織によって管理されていたダイヤモンドとは異なり、カラーストーンは規模の小さい業者が多く、何らかの連帯が必要だったことは間違いありません。しかしそれ以上に大きかったのは、1970年頃から始まった放射線照射の商用化でした。
放射線照射が民間ベースで使えるようになったことで、色石の「人気商品」を生み出します。産出量の多い無色透明のトパーズに放射線をあて、濃い青に色付けしたブルートパーズです。その鮮やかな青味に、多くの人々が魅了されました。
一方で、「放射線」という言葉にネガティブなイメージがあることも事実です。ひとたび否定的な目を向けられたら、せっかくのブームが瓦解してしまいます。
そこで1985年、AGTAはある「ルール」を打ち出します。行き過ぎた処理である「トリートメント」に対し、許容される処理を「エンハンスメント」と定義。ルビーやサファイヤの「単純加熱」とエメラルドの「軽度のオイル含浸」、そして「放射線照射」をすべて後者に分類し、「エンハンスメント」と総称することにしたのです。「放射線照射」という実態に「エンハンスメント」というベールを被せ、安心・安全という「お墨付き」を与えた格好ですが、見方を変えれば、ブルートパーズ人気を維持するための「環境整備」にほかなりませんでした。
国際会議の背後にある「したたかな現実」
そうした動きがある中で、1984年に設立されたのがICAです。その目的は「ルールに則った健全な色石の取引と発展」。1984年にメキシコのアカプルコで創立総会が開催され、カラーストーンを扱う鉱山主(採掘業者)や研磨業者、輸出入ディーラー、卸業者らが世界20数カ国から一堂に会しました。
その中には、GIAの学長だったリチャード・T・リディコート先生の姿もありました。日本からは、AGTジェムラボラトリーの土居芳子氏、ミキモトの小松博氏、カシケイの加藤英高氏、そして私の4人が参加。世界規模で色石業者が集まるというのは、当時としてはきわめて異例のことでした。
翌1985年、ドイツのイーダー=オーバーシュタインで第1回コングレスが開催されました。200~300人が集まるという盛況ぶりです。私は日本を代表して常任理事(5~7人)の一人に選出され、意思決定の一翼を担う大役を任されることになります。
最初の主要な議題となったのが、「トリートメント」と「エンハンスメント」の区別でした。北米に限られていたAGTAの取り決めを、一気に世界に広めようという狙いです。この区別はICAでも了承され、国際的な基準として、日本を含む世界中に広まりました。当時は私自身、「良い処理」と「悪い処理」という区別は単純明快でいいと考えていました。
ところが、1990年代に入って以降、徐々に「エンハンスメント」という言葉に対して、消費者を騙しているのではないかという批判が高まっていきます。GIAも異を唱えるようになり、やがて「エンハンスメント」という曖昧な言葉は使われなくなり、「加熱処理」や「オイル含浸」、「放射線照射」といった個別開示に変わっていきました。
それでもいまなお、ブルートパーズは高値で販売されています。現在、放射線照射は「許容されない処理」として扱われており、事実、ブルートパーズに宝石としてのリセールバリューはありません。それでもなお、店頭では高値で販売されており、放射線照射の開示がなされていないケースもあります。一度ルールとして認めてしまうと、それが撤回されたとしても、人の意識はなかなか変わらないのです。
今振り返ってみると、私を含む多くの業者が、ブルートパーズで大儲けしようとしていた一部の業者にまんまと乗せられ、その下働きをさせられてしまったのだと思います。
一部の人間が自分たちに都合のいいルールをつくり、利益を誘導する。宝石に限らず、ありとあらゆる国際会議には「理念」の背後に「したたかな現実」が隠れています。国際会議に臨む際には、片時もその点を忘れてはいけない――これが苦い経験からいえる私の教訓です。
国際会議でも解決できない「ピンクサファイヤ」問題
もちろん、国際会議では「正しい意思決定」もなされます。そのことを実感したのが、1989年にスリランカのコロンボで開催されたICA第3回総会です。
このときの議題は「ルビーとピンクサファイヤの境界線をどこで引くか」。そのルールが明確でなかったことから、当時、アメリカを始め世界中の業者が頭を悩ませていました。ルビーとして販売した後に「サファイヤ」と鑑別されたら、宝石商にとっては信用問題に発展してしまうからです。
総会では、常任理事の中でGIAGG(宝石鑑定士)の資格を持つ私がプレゼンテーションをすることになりました。各国の線引きの基準を調べ、実際に石のデータを取り、サンプルも用意するなど、下準備に非常に苦労したのを覚えています。それらを基に現状を説明した上で、私は「濃淡に関係なく、赤はすべてルビーと呼んではどうか」と提案しました。色の三属性である「色相」「明度」「彩度」のうち、「色相」だけを基準にしようと。
プレゼンターという大役を引き受け、時間をかけて準備した甲斐がありました。じつに8割を超える参加者の賛同を得られたのです。「赤系統の淡いコランダムもルビーとする」という決議をそれぞれが持ち帰り、各国で推進するという方向でまとまり、総会は無事に幕を閉じました。
しかし、総会に集まった数百名だけが「利害関係者」ではありません。
帰国して決議を伝えると、国内の業者には誰一人、賛同者がいませんでした。鑑別業者にしてみれば、線引きが曖昧だからこそ鑑別の需要があり、自分たちの商売が成り立つのだというのです。私の提案は、鑑別業者にとっては死活問題でした。
加えて、アフリカで大量に産出する青みがかった赤のコランダムを「ピンクサファイヤ」として販売していた業者からすれば、低コストで高く売ることができなくなります。ビルマ産であれば色が淡くても価値を持ちますが、希少性のないアフリカ産の「低品質ルビー」を欲しがる人はまずいません。他国でも同じような状況であり、「濃淡に関係なく、赤はすべてルビーと呼ぶ」というICAの取り決めは、いまなお浸透していません。
それでも得たものは大きかった
この一件で、私は国際会議に理想を求める側面がありながら、「現実」という壁に阻まれてしまう無念を感じました。私が1990年代以降、本を書くようになったのは、ICAに参加して「国際会議の理想と現実」に気づいたことが大きく影響しています。当初は賛成していた「トリートメント」と「エンハンスメント」という区別にしても、その背後に潜む一部業者の思惑に気づいたことで、拙著『宝石1』の改訂版(1999年)を出す際には、取り上げている宝石すべてに「無処理」「加熱」「オイル含浸処理」といった個別開示を付記しました。同書は英語版も刊行されており、この本が世界的な個別開示への流れを後押ししたと、私自身は思っています。
今回の2つのエピソードは、国際会議の「限界」を示しているのかもしれません。その一方で、世界中の同業者と情報交換を行い、新たな友人ができた、人的なネットワークが広がったという点では、私としては得たものは大きかったともいえます。
余談ですが、私はドバイで開催された第12回総会を最後に、ICAの会議には参加していません。本業が忙しくなったこと、私自身の関心がアンカット・ダイヤモンドに移ったことなど、理由はいろいろあります。一時は中国人の会長のもと、カラーストーンの販売のあり方を主な議題としていたようですが、果たしてふたたび一部の業者の思惑が働いているのかどうか。
いまの私には、知る由もありません。